先日、いつも大変お世話になっている方のご好意で、ドイツ人が書いた古~~い文字のコピーを見せていただきました。ウワサのSütterlinschrift(表記が難しいです。ズュッターリン・シュリフトが近いかな。)をぜひ拝見したいと思って、わくわくしながら封を開けました。ところが!
・・・・読めない。
大きさもそろっていて達筆なんです。
・・・・だけど読めない。ウッキ~~~~!(ヒステリーです)
読めないと思うとますます読みたくなるのが人情。しばらくワンコを脚に挟みながら(失礼。すごいお行儀。)コピーを手に、文字と格闘しましたが、ほとんど読めませんでした(涙)この文字と何年も格闘していらっしゃる方がいますのに、私なんかがちょこっと検索しただけで記事にするのは申し訳ない気がするのですが、でもせっかくなので書かせていただきました。
***************************
Sütterlinschrift → こんな感じです
古い筆記体イロイロ → こんな感じです(1941年の「子供の手紙」がカワイイ。)
今の若いドイツ人はみんなブロック体で書いていますけど、年配の方の筆記体はこれの影響が残っているように思います。やたらカクカクギザギザしているんだな、これが。
Sütterlinschrift はWikipedia によると、1911年にプロイセンの文部省の委託を受けたLudwig Sütterlin (ルートヴィヒ・ズュッターリン)によって開発された筆記体だとか。この人が開発した筆記体があまりにも有名になったため、それ以前から存在していたドイツ固有の筆記体まで「Sütterlinschrift」と呼ばれることもあるとか。でも誤りだそうです。また、あまり知られていないのですが、Sütterlinschrift にはラテン文字バージョンも存在するそうです。
(1935年版のBrockhaus 辞書の1ページ。上がドイツ文字版、下がラテン文字版だそうです)
それまで使用されてきたドイツ古来の筆記体が子供にとっては非常に難解であったため、Sütterlin さんが工夫して書きやすい文字に改良したとのこと。え?これでも簡単になったの?古いドイツ映画に、母親が家で子供に字の練習を繰り返しさせているシーンが出てきました。日本でもそうですが、ドイツでも「ペンを正しく持つ」「字を正しく書く」ということが大切にされてきたんでしょうか。
このSütterlinschrift は、1915年にまずプロイセンで導入され、順次拡大。1920年代にはそれまでの筆記体に取って代わるほど普及したとか。しかし1941年には、ヒゲ文字(Fraktur)使用禁止に続いてこの筆記体も使用禁止に。なんでかなぁ。ヒゲ文字と同様、占領地域では通用しないからかしら。理由をご存じの方、教えてくださいね。(下に貼り付けたサイトによりますと、ナチスドイツはヨーロッパ全域支配を視野に入れ、近代的なイメージを前面に出したかったのでは、という推測が載っています。このあたり、私にはよく分からないのです。)そしてその代わり、Sütterlinschrift のラテン文字バージョンを発展させた筆記体が用いられるようになったそうです。
Fraktur および Suetterlinschrift の使用禁止について(ドイツ語です)
*****************************************
Sütterlin とは関係ないのですが、ドイツの文字の変遷が出ています↓ 面白い!左の列が書籍に用いられた文字、真ん中の列が文書に使用された文字、右が手紙の文字だそうです。美しいですよね、装飾が施されているものもあって。
恐るべきアマチュア様、すみません、私ったら何も知らないくせに便乗して記事にしてしまいました。いつもありがとうございます。